斜陽族の日常

強く生きる!!

{中学生}国語の文章課題{夏の葬列}

どうもBo-Rakuです。

元気ですか?

 

まえに提出した「なんか文章作って送れ^^」という課題、Bo-Rakuとしては珍しく割と真面目に取り組んだので一応将来の自分が見返せるように記録用に乗せておきます。

 

拙い文章ですが...赦してください

 

「夏の葬列」の「僕」の手記として書きました。

www.aozora.gr.jp

 

まず最初は「恥の多い生涯を送ってきました」と、書くべきだろうか。

 

小3の夏から持っていた罪悪感、思想を今ここで打ち明けようと思う。

 

きっと将来の私が見たら「黒歴史」として悶え苦しむこととなると思うが、まあ焦らずゆっくり、もしかしたらこの時点ですでにこの紙を破り、押し入れの奥で熟成させようとしているのかもしれないが、過去の自分が会いに来たと思って読んでほしい。

 

まず、小学3年生の夏、私はひろ子さんを殺した。

殺した、と書くと若干ニュアンスが違うかもしれない。突き飛ばした、僕をかばった、等々...色々な言葉に言い換えることができる。

 

ただ、芋畑にうずくまっていた僕を助けに来たひろ子さんを僕が突き飛ばした結果、ひろこさんは死んでしまった。

これだけは疑いようのない、かわらない事実だろう。

 

あれから僕の視点は変わった気がする。

「一人の少年」から「犯罪者」となったのだ。

ただ、不思議とそんなに「犯罪者」となった実感が湧いてこないのだ。

 

朝起きたら学校に行くことを躊躇して二度寝するし、なんなら授業中寝ていることのほうが多い。

 

今の私は「犯罪者」というよりかは「ただの少年」のかわを被った「化け物」として生活している気がする。

 

人を殺したのに一切罪悪感を持たずに生活しているのだ。これを「化け物」と呼ばずなんと呼ぼうか。

 

あるとき突然通行人にがしっと顔を掴まれ、べりりと皮を剥がされるとそこには化け物がいた...

みたいなことを寝る前や電車に乗っているときにふっと考える。

 

いつか殺したことがバレたとする。きっとその時はきっと誰も私を助けてくれないのだ。私は一人で死んでいくしかないのだ...、と。

そう考えては一人で勝手に怖くなっていた。

 

また、歳を重ねるにつれ、「自分」という者を理解できなくなっていった。

幼い頃は嫌味なガキだった。それだけは覚えている。

人に対してすぐ厳しく注意するくせに、自分には甘い。

自分が悪いのに、まるで相手が悪かったかのようにすぐ泣く。

いかにも我々の社会でいう「最低」なやつだった。僕が死んでひろこさんが生きるべきだったと今でも思う。

 

だけど歳を重ねるにつれ、色々な挫折を味わい、その度に自分の性格の気持ち悪さ、気色悪さを知った。

 

なので今では完全に性格が変わった。

性格が完全に変わった、と書けば嘘になるかもしれない。

捻じ曲げたのだ。騙したのだ。自分自身を。

 

根本的な性格は変わっていないが、そこをひたすら隠し、笑顔でごまかす。

 

そういう処世術を身に着けたのだ。

 

相手に対してコロコロとまるで落語家のように性格を変える。

ある人にはヘラヘラと。またある人には真面目に。またある人には...

 

時偶ぷらぷらと他人のブログを見ていると、「一生の友達や、恋人は素で話せる人がいい」となんだの書いてあるが、まず素の自分がわからない。

きっとあの頃とは自分の根本的な性格が変わっている。

 

ちょっと前まで好きだったお菓子が今食べると割と普通に感じるし、今まで好きだった人がある瞬間を境に自分にとって普通の人になっていることもある。

 

もっというと作者が描いた萌えイラストを見て度肝を抜かれ、ほんの一瞬で(異性として)好きになった二次元の女の子のことを一日中考えてしまうし、また2日3日後には普通に感じてしまう。

 

そのくらい自分は芯が通っていない、ふにゃふにゃとした人間なのだ。

 

だがその処世術も崩れた。

ある時から突然、まるで棚から本が崩れ落ちるように対人関係がどうでも良くなった。

別に一人でも生きていけるようになったのである。

そうしたら過去の罪を隠す必要がなくなってくる。早急にひろ子さんの親族に謝らなければならない。

なぜなら今まで誰も助けてくれない、と思って黙っていたから。

もうその「誰も」もいないし、助けてくれてもその恩に十分報いることはできないだろう。

誰にも期待も愛情も受けることもなく、怒号や落胆の声をうけながら一人で生きていくしかないのだ。どうせ最初から期待していなかったくせに。

 

そういえば家族や親族からもあまり期待されていなかったような気がする。

 

私は兄が行っている高校に落ちた。ついでに塾のクラスも上がれなかった。

第三志望の受験を終え、初日に受けた高校が合格だということを母から淡々と告げられた。(そこだけ合格だった)

あとから聞いた話だと母は涙を流すほど喜んでいたらしいが、喜びすぎて冷めてしまったらしい。せめて我が子に告げるときも嘘でもいいから笑いながら言ってくれたら、と思う。

 

そこで...いや、その後兄が通っている高校の安否を見たとき、そこで何かがぷつりと切れてしまったような気がする。

あれから全てがめんどうくさくなった。

 

思えば兄は昔から要領が良かった。人間関係も上手くできていたし、成績も良かった。

コツコツと努力できる人間だった。私とは違い、日頃から学習習慣を身に着けているような、きちんとした人であった。

 

おじいちゃんや親族は全員兄に期待してくれていたような気がする。

誕生日にはおじいちゃんオススメの本を送ったり、歌舞伎に連れて行ったり、幼い頃は一緒に寝たりもしていたし、ついでに囲碁や将棋も教えていた。

家族全員(私含めて)兄は有名高校に受かるとばかり思っていた。

 

そこで兄が期待を裏切り、底辺高校にでも通ってくれればどんなに良かったことか。

 

兄は当然のように塾で上のクラスに一ヶ月で上がり、また、公立トップの高校に入学した。

いまでは部活動も楽しみつつ...とのところで兄を貶めるチャンスがあった。

兄の成績が悪くなったのである。

ここで兄を陥れ、私がいい成績を取りみんなの期待を取り返すのだ。

 

杞憂だった。今までだらけていた私がいきなり頑張れるはずもなく、そもそもあの兄がちょっと成績が悪くなったところで私みたいに転落人生を歩むはずもなくで、部活動の日程が〜等々の馬鹿げた理由ですぐに塾のトップクラスに入った。

 

私は元々絵がちょっと好きだったというだけで、美術部に入ってもいないし手も器用じゃないのに(兄はとても器用)おじいちゃん達から「美術系の大学にいけ」と言われ、親族全員が集まる場で酔った叔母に「いやいやそんな美術の才能ないよ」馬鹿げた口調で言われ、挙句の果てには「マーケティング系の学部に行きたい」と言ったらやんわりと否定され、頭が良くないのに「医学部行け」と言われる。

 

学校では成績が悪いからと同級生にバカにされ、通りすがりに「馬鹿」と言われたり、何かを頑張ろうと思っても「お前が?」と言われたりする。それに加えてろくな友達もおらず、しかも私立に行っているので習い事もできない。(兄は楽器と塾に通っている。)

 

同じ母親の子宮から生まれたのに一体この差は何なのだろうか。

 

時々、定期試験でクラスメイトの女子がよく「テストの点が悪かった」と机に突っ伏して泣く女子と「そんなことないよ頑張ったよ」と自分がしてもいないのにそんなことを吐きながら慰める女子がいるが、自分の頑張りを褒めてくれる人がいるだけマシだろ、とよく思う。

 

私は母から「啓ちゃんは内申点で先生受けするタイプじゃなかったから仕方がないよ」と言われたのに。そしてその先生になぜあの内申点になったのか聞いたら、やってもいないことを例に挙げられ、あたかも自分らが正しいかのように説明されたのに。

 

それでいて未来ある少女を一人殺してしまったのだから、もう救いようがないな、と思う。

 

そういやあのひろ子という女の子は、僕をかばって優越感に浸っていた。

 

いじめっ子を殴ったあと、自分の手についた血と僕の顔と倒れた苛めっ子をみて、ときどきにいっと笑うのだ。

 

なんだ、クソじゃないか。

 

「ここに行きたい」と豪語してそんなに勉強してなかったくせに「やっと入った」学校でも、本当はそんな学校だとわかっていたくせに「方針が合わない」といって抜けたがっている。

 

飛んでいる鳩を見たら「お前も大変だな」とか心の中で勝手に呟いたり、道端に幼い子供を見つけたら「僕みたいにならないといいな」などと勝手に思っている。

 

自分が原因で引き起こしたことを立派な「苦労」として認識し、まともな努力もせずただぷらぷらと生きている私は。

 

果たして、最低だろうか。

 

 

どうでしょうか。

 

個人的にはめっっっっっちゃ拙い文章です...

 

まだまだです。

 

ちなみにボツになった文章はこちら

 

bo-raku.hatenablog.com

 

これからも頑張ります

 

では